大きなシナジー効果

こうした状況を変えるには、私自身も壁を破ってさらに高い目標に挑戦しないといけない。大型買収を決断した理由の一つはここにあります。大型買収によって新しい目標ができれば社員の励みになり、忙しさには忙しさで応える逆転の発想で企業体質を改革するチャンスになると考えました。井上はかつて化学部門の再生を託されたとき、意気消沈している化学部門の担当者を奮い立たせるべく、米国進出という大きな目標を打ち出した。このときの成功体験か、OYL買収に踏み切った井上の念頭にはあった。

化学担当のころから、話し合いによる友好的なM&A(合併・買収)戦略に興味がありました。フツ素化学メーカーの買収交渉をし、最後はイタリアの企業にさらわれましたが、自分たちの意思を通すためには提携ではなく買収でなければ絶対にうまくいかないと感じていました。世界で競争するには自前だけではとても無理であり、M&Aでスピードを上げなければならないという気持ちがありました。その後、米スリーエム社とフツ素化学の合弁事業を立ち上げました。社長就任後に欧州各地で空調の代理店買収を進めてきたのも、買収して主導権を握らないと当社の販売戦略を十分に実行できないと考えたからです。

欠点も多いが、うまくやれば大きなシナジー効果。OYL社に販売や生産の業務提携を持ちかけたダイキン工業のアジア駐在幹部は2005年10月、OYL社を傘下に置くホンーレオンーグループのオーナーであるタンースリークウェツクーレンーチャンが「値段次第では会社全体を売らないこともない」と話をしているとの情報を井上にもたらした。そこで、井上はOYL社について徹底的に分析することにした。最初に魅力を感じたのは、当社の弱いところが向こうは強く、向こうの弱いところは当社が強い点です。実は過去にもOYL社の傘下にあるマッケイ社について調べたことがあり、ある程度は会社の概要を知っていたのです。

マッケイ社は、当社が取り扱うアプライト商品よりさらに大型の商品ラインアップを持っています。OYL社は低価格のルームエアコンなどを作るのも得意で、いずれも当社が弱い分野です。世界市場を狙うのなら、やはり大きく伸びるのは低価格品です。大型のアプライトも新興国も含めて世界ではどんぐん伸びます。そして、機器だけを取り扱っていたら空調メーカーは成り立ちません。ソリューションービジネスを拡大するためにもアプライトは必要なのです。OYL社がある程度の利益率を維持しているのは、R&D(研究開発)の投資が少ないからです。短期重視の経営で、単年度の利益を上げることを最優先していました。

しかしながら、2005年に大手制御機器メーカーがソリューションービジネスヘの布石として、アプライト業界3位の空調メーカーを買収するなど空調業界では再編・淘汰か進んでいました。OYL社は単年度の利益を上げているのはよいが、将来の大きな発展は望めないという「危機意識」を非常に強く持っていたのです。だから、値段によっては売った方がよいと思っていたようです。OYL社を傘下に置くホンーレオンーグループは不動産や銀行を保有している会社なのですが、非常に高い配当をOYL社に求めてくる。それで将来に対する投資ができない弱みかありました。

防衛上の重要拠点国・地域にも気を配る必要がある

また周辺でなくても防衛上の重要拠点国・地域にも同様である。トルコ、ギリシア、韓国、パキスタン、タイ、マレーシア、北欧三国、アイスランド、中央アメリカ諸国、地中海南岸諸国、南ア共和国周辺国などである。その理由は世界地図を一覧すれば充分に理解できる。

また、大西洋上の唯一の戦略島嶼アゾレスを領有するポルトガル、大陸に近接し戦略上の要衝たるマダガスカルスリランカ、台湾、フィリピン、ニュージーランドカリブ海諸国、ディエゴ・ガルシア、アンダマン・ニコバル諸島等である。さらに、最大の核戦力運搬力をもつ原潜オペレーション上の重要拠点となりうる南太平洋上の諸島嶼国、インド洋上の島々、重要海峡を制圧しうる各国(スペイン、ポルトガル、北欧三国、日本、アイスランド、アセアン諸国、イラン、オマン、アラブ首長国連邦、エジプト、パナマ、チリ、アルゼンチン、両イエメン、ジブティソマリア)などは国際金融上も、軍事戦略上も重複して重要である。

そして、ソ連圏と近接している国際金融三強国(西独、サウジアラビア、日本)に、米国または西側諸国は何を期待し、何を期待していないかはすでに明白ではないか。

また、国際金融市場としては、ソ連の周辺や外郭に所在し、政治動向が微妙な国々(北朝鮮、インド、ビルマベトナム、イラン、シリア、リビアアルジェリア等々)にどう対処しているかはきわめてデリケートな問題であるし、ソ連の総合力が低下すれば東欧圏諸国の動向も注目され、中国自体もすでに自給自足的発想から国際的依存度増大の方向に傾斜しつつある。中国もブラジルも翌世紀の国かもしれぬが、今世紀の国でないことは確実である。

「家制度」の復活阻止に気を吐く

各地の農協婦人部から声がかかり、講演に出向くようになりました。そのころ、夫が大学で研究生活に入り、二人で銀座に開いていた事務所も手が回らなくなってきました。一九五五年には息子の恭吾を出産。住み込みのお手伝いさんには恵まれましたが、子供のそばにいてやりたい思いもありました。事務所を高円寺の自宅に移し、「新法普及のために働くのも一手かな」と考え始めたのです。地方の女性たちの知識欲は旺盛でしたよ。公民館などで開かれる講演会では、実に熱心に聞いている。ただ、その場では質問せずに後で駆け寄ってきて、「実は」とあれこれ相談してくるんですね。「嫁の相続権」が聞きたいお姑さん。「夫の兄弟姉妹の相続権」に関心があるお嫁さん。「知りたい。だけど周囲には聞かれたくない」という事情もあったようでした。

こうした地方の講演では、「ウチで取れたから」とトマトだのトウモロコシだのをよく頂きました。四国の山村の手打ちうどん、福島の採りたての山菜など、素朴な好意が忘れられません。法律に関する出版活動も盛んな時期でした。日本全体が「新しい法律を学ぶ」意欲にあふれていましたね。私自身、婦人雑誌や週刊誌のコラムを何本も掛け持ちで担当したこともあります。事件処理と合わせて、寝不足になるほどの忙しさでした。「これまで不利な立場に置かれていた女性に配慮しながら、新しい民法の知識を正確に伝えたい」という気持ちが強まり、このころから「モノを書く」という仕事にも力を注ぐようになります。

事件の処理や法律解説のほか、私にはもう一つ大きな仕事がありました。「日本婦人法律家協会」の活動です。発端は司法修習生時代、あの「女性弁護士一期生」の久米愛さんの事務所で実習していた時でした。久米さんは、GHQのメアリーイースタリングさんという女性弁護士と、よく法律を巡って情報交換をしていました。そうした交流の中で、「多くの国に女性法律家の協会がある。日本にも設立してはどうか」という話が持ち上がったのです。女性の弁護士や裁判官はまだ、全国で十余人の時代でしたが、五〇年、女性の研究者にも呼びかけて集まれる者で婦人法律家協会を旗揚げしました。もちろん、私もメンバーになりました。

当初は親睦会のような雰囲気もあった協会ですが、気を吐くべき時はすぐにやってきました。五四年、法制審議会に「民法改正の必要があるとすれば、その要項を示されたい」という諮問があったのです。これに先立って、「旧来の家制度を廃止した憲法第二四条二項は日本の実情に適しないとの意見もあり、再検討の必要を内閣法制局が指摘した」という報道もありました。やっと男女平等を家庭の中でも手にしたばかりの女性にとって、これは危機です。会員の間に緊張が走りました。婦人人権擁護同盟などと協力して「民法研究会」も組織しました。「家族制度復活反対」のキャンペーンには、デモなどしたことのない一般女性も街頭に繰り出しました。

私は講演やパンフ作りに追われました。法律家仲間が我が家に集まり、時には泊まり込んで合宿のようでした。この時作られた『家族制度の復活を防ごう』という協会の小冊子には、会長だった久米さんや、明治大学教授だった立石芳枝さんに並んで、私の名前も記されています。協会は九五年に「日本女性法律家協会」と改称しました。私自身、その前の八六年から第四代の会長を務めることになりますが、女性に関する法的な動きがあるたびに発言するのは、当時から変わっていません。ところで、協会は、発足と同時に国際婦人法律家協会にも加盟していました。五二年には、トルコでの総会に出席する米国の女性法律家十五人が日本に立ち寄り、私かちとの予備会議を行いました。

業界団体の意見を尊重する必要性

NHK番組『クローズアップ現代』で、こんな放送を見たことがあります。品確法に基づいて迅速に紛争解決ができるように、判断の規準を作るうということになりました。

床の傾きの角度の基準については、「十分の六以上であれば欠陥、それ以下であれば欠陥ではない」ことにしたというのです。しかし番組に出演した専門家は、「傾きが十分の三もあれば、誰もそれは欠陥のない住宅だなどとは思わない」と述べていました。

床の傾きの基準については、もちろん、業界の他の多くの専門家が「十分の三なら欠陥ではない」という見解だからそうなっているわけで、「欠陥だ」という人は専門家の間では少数のようにも聞きました。でも、私はこの放送を聞いて「なるほど、変わってないな」と思いました。こういうことは非常に多いのです。

日本の法律は全般に、法律を作るうとする際に業界団体の意見は聞くが、一般の人の意見は全然聞かないというか、まとまって聞くようなことをしません。業界団体の意見はその業界の「総意」であるのに対して、消費者の意見は何人かの人から「参考程度」に聞くだけというのがふつうです。

ドルの通貨としての強味

今日になってみれば、「ドル・ショック」はドルの敗北ではなかった。冷戦下にはヤミ市場で取引されていたロシアやキューバなども含めて、今日ではドルが世界中を覆っている。ロシアなど、かつては米国と対決していた旧社会主義圏では、不安定な自国通貨を尻目に、最も信頼牲の高い正貨としてまかり通っている。米国の対ソ冷戦勝利は、通貨の面で最も徹底しているといってよかろう。

ドルの通貨としての強味は、パワー中のパワー、軍事力の強大さと一定の連関を持っているであろう。もちろん、依然軍事力でナンバー2のロシアの通貨ルーブルが自国民からさえ敬遠されているように、通貨に対する信用は軍事力と比例するものではない。また、時々刻々の交換レートに示される「強さ」にそのままつながるものでもない。たとえば日本円は、バブル崩壊で「日米経済再逆転」が演じられても、大きく下がったりはしなかった。

円は、ドルのように国際的に信用され、世界の街や村のすみずみにわたって通用するようになってはいない。近隣アジア地域内でも限定された範囲でしか通用しない。これは、国際通貨に不可欠な信頼性に欠けているからである。提案されて久しいアジアにおける「円圏構想」がいつまでも前進しないゆえんである。ドルの通貨としての信用の高さ、そしてそれに基づく世界規模での流通性の高さは、いうまでもなく前述した金融ビジネスの米国優位につながっている。国際金融ビジネスにおける米国優位は、ひるがえってドルのさらなる信用力の強さにつながる。七一年の「ドル・ショック」から七三年の変動制移行にかけて、米国は経済的に傾いていてもドルは通貨としての信用力を保持していた。

アジア系エリートが世界を制する

もちろん欧米系の外資でも本社のある国を悪し様に言うことは、誰の得にもならないが、特に華人企業では「思うのは勝手だが、喋るのは別」という不文律があることを忘れないほうがよい。しかし、華人企業に職を求める人はそうしたセンシティビティ(感受性)は当然のこととしてあるだろうから、発言や行動は常識に基づいて行なえばよいだろう。一つ付言すれば、日本企業にありかちな酒の上での失敗は、欧米系と同じく華系でも許されない。乾杯を重ねてべロぺロに酔っ払って失言や失態をおかしても、上司や取引先が水に流してくれるということはまずないのである。

印人と華人のほかに中国本土人、東南アジアの人々を無視することができないが、ここで論じることは紙幅の関係もあり割愛したい。一五億人と言われる中国人にも地域性とエスニシティがある。漢民族とそれ以外の少数民族、さらに漢民族でも居住地域によって言葉も習慣も考え方も大きく異なると言われる。東南アジアをASEAN一〇ヶ国と限定してもそこには、マレー・インドネシア系もあれば、タイ系、フィリピン系など多様な民族と語族がある。

多島海とも呼ばれる東南アジアの太平洋地域には、何千の島々が存在し、島の東岸か西岸かによっても文化や風俗が違う。大陸部分でも高地か低地か、大河に近いか遠いかなどで生活習慣や価値観に多様性がある。国境を超えて存在する少数民族や混血でルーツがハッキリしない民族などを含めると十把一絡げで東南アジアを論じるのも危険だ。外資系を論じる本書で、一つ言えることは、まだ東南アジア系の企業進出が少ない日本では、東南アジアの人々と接する機会はビジネス以外のところが多いということである。親や親戚の介護の現場にインドネシア系の人がいたり、子供の学校の父兄にフィリピン系の人がいたりすることは珍しくなくなりつつある。日本にはこうした国々から、エリートの学生が多数、派遣されている。東南アジアでも欧米が一番人気だが、日本に対する憧れの気持ちはまだ根強い。日本を第一あるいは第二希望の留学先と考えてくれる若者が多い。

こうした将来のエリートを日本人、日本企業は過小評価している。もっと言えば無視している。故国ではエリートだった誇り高き東南アジア人に対して、日本人が意識的、無意識的に差別、軽んじることで、反日嫌日のアジア人を作っていることに私たちは気づかない。このテーマは本書を超える重い命題であるので、これ以上ふれない。だが、外資系企業社員や幹部の中に、東南アジアや韓国、台湾、中国の出身者がいる場合には、注意すべきである。彼らが仮に日本留学組である場合、親日的な人ばかりでないということに思いを致す必要がある。在日外資系企業は、こうした日本に留学してきたアジア人のエリートを日本企業よりも多く採用している。

彼らは日本語、母国語、英語などの世界語に通じているだけでなく、異文化体験を実地で行なってきているので、並みの日本人エリートより底力があり、世界性がある。このことに日本企業の経営者に早く気づいてもらいたいものだ。エピローグー外資系企業から日本企業が学べること国際派がなぜ主流になれないのか「平家、海軍、国際派」という言葉があるが、皆さんはご存知だろうか。三題噺のようだが、ビジネスの世界では、主流派になれない傍流を意味する。あるいは、批判と皮肉を込めて非主流派を表わす言葉として使われることが多い。これに対応する言葉は、「源氏、陸軍、国内派」ということになる。

なぜ日本はイギリスのようになれないのか

これらのいずれが正しいといえるのだろうか。私は、ロンドンで最近開催された、取締役の役割と取締役会の義務に関するセミナーに参加した際、この問題を熟考させられたのである。その結果、正しい答えはないとの結論に達した。その理由は、日英米開やその他の国の間には固有の文化の相違があり、それが重要だとはいえ、単に国家間の違いによるものだけではないからだ。正しい答えがないのは、企業は複雑な集合体であり、さらに企業の、資本家、従業員、顧客、政府との友好関係やニーズは、各企業が置かれている、そのときどきの状況に、すべて左右されるからである。

株主の役割は、とくに企業がどれほど資本を必要とするかにかかっている。企業が銀行から容易に、しかも安価で借り入れができるのなら、あるいは、負債が少なく、高利潤によって多額の現金を保有しているなら、株主に頭を下げて、より多くの投資を頼む必要はないのだ。一九六〇年代および七〇年代の日本では、企業は、株主よりも銀行に大きく依存していた。一九八〇年代のバブル期には、自社の膨大な現金保有によって、銀行ばかりでなく株主を気遣う必要はなくなった。

一九九〇年代に入ると、事態は一変する。多くの企業は多額の負債を抱えるようになったので、資金調達をするうえで、銀行や社債市場、それに株主の重要性が増したのである。だが、現在では大半の企業は負債を減らし、巨額の現金を再度保有するようになっている。その結果、企業は再び、株主と一線を画すだけの余裕ができて、一部の投資家が、より多くの配当を求めたり、企業戦略に影響を与えることを防止している。しかし、この問題を煎じ詰めると、結局、経営者を規律づけるかどうかに尽きると思う。では、経営者が利益を継続的に上げ、業務を期待通りに遂行させる規律は、一体どこから生ずるのだろうか。

アメリカでは、経営者への規律づけは、主に競合相手から強いられるが、株主がTOB(株式公開買い付け)を受け入れて、現在の経営陣を罷免させる、と脅す可能性も残されている。イギリスでは、TOBによる脅しと、法律や慣習の両方によって経営陣に規律を強いることができる。アメリカでの取締役会は、通常、強力な権限を持つ社長の周りに、単なるゴルフ仲間を集めているにすぎず、弱体である。イギリスでは、そのようなやり方はとっていない。

日本では、株主と資本主義の問題が俎上に上ると、その参加者の誰かが決まって、日本はアメリカみたいになるべきではないと主張する。先に経済産業省の北畑氏の発言を引用したが、結局、これはアメリカ人の評判が「無責任で貪欲」である、という考え方を反映しているものと思われる。