アジア系エリートが世界を制する

もちろん欧米系の外資でも本社のある国を悪し様に言うことは、誰の得にもならないが、特に華人企業では「思うのは勝手だが、喋るのは別」という不文律があることを忘れないほうがよい。しかし、華人企業に職を求める人はそうしたセンシティビティ(感受性)は当然のこととしてあるだろうから、発言や行動は常識に基づいて行なえばよいだろう。一つ付言すれば、日本企業にありかちな酒の上での失敗は、欧米系と同じく華系でも許されない。乾杯を重ねてべロぺロに酔っ払って失言や失態をおかしても、上司や取引先が水に流してくれるということはまずないのである。

印人と華人のほかに中国本土人、東南アジアの人々を無視することができないが、ここで論じることは紙幅の関係もあり割愛したい。一五億人と言われる中国人にも地域性とエスニシティがある。漢民族とそれ以外の少数民族、さらに漢民族でも居住地域によって言葉も習慣も考え方も大きく異なると言われる。東南アジアをASEAN一〇ヶ国と限定してもそこには、マレー・インドネシア系もあれば、タイ系、フィリピン系など多様な民族と語族がある。

多島海とも呼ばれる東南アジアの太平洋地域には、何千の島々が存在し、島の東岸か西岸かによっても文化や風俗が違う。大陸部分でも高地か低地か、大河に近いか遠いかなどで生活習慣や価値観に多様性がある。国境を超えて存在する少数民族や混血でルーツがハッキリしない民族などを含めると十把一絡げで東南アジアを論じるのも危険だ。外資系を論じる本書で、一つ言えることは、まだ東南アジア系の企業進出が少ない日本では、東南アジアの人々と接する機会はビジネス以外のところが多いということである。親や親戚の介護の現場にインドネシア系の人がいたり、子供の学校の父兄にフィリピン系の人がいたりすることは珍しくなくなりつつある。日本にはこうした国々から、エリートの学生が多数、派遣されている。東南アジアでも欧米が一番人気だが、日本に対する憧れの気持ちはまだ根強い。日本を第一あるいは第二希望の留学先と考えてくれる若者が多い。

こうした将来のエリートを日本人、日本企業は過小評価している。もっと言えば無視している。故国ではエリートだった誇り高き東南アジア人に対して、日本人が意識的、無意識的に差別、軽んじることで、反日嫌日のアジア人を作っていることに私たちは気づかない。このテーマは本書を超える重い命題であるので、これ以上ふれない。だが、外資系企業社員や幹部の中に、東南アジアや韓国、台湾、中国の出身者がいる場合には、注意すべきである。彼らが仮に日本留学組である場合、親日的な人ばかりでないということに思いを致す必要がある。在日外資系企業は、こうした日本に留学してきたアジア人のエリートを日本企業よりも多く採用している。

彼らは日本語、母国語、英語などの世界語に通じているだけでなく、異文化体験を実地で行なってきているので、並みの日本人エリートより底力があり、世界性がある。このことに日本企業の経営者に早く気づいてもらいたいものだ。エピローグー外資系企業から日本企業が学べること国際派がなぜ主流になれないのか「平家、海軍、国際派」という言葉があるが、皆さんはご存知だろうか。三題噺のようだが、ビジネスの世界では、主流派になれない傍流を意味する。あるいは、批判と皮肉を込めて非主流派を表わす言葉として使われることが多い。これに対応する言葉は、「源氏、陸軍、国内派」ということになる。