白樺の思想

私の場合には、これについては前史がある。私が一高の文科に入ったのが大正七年、志賀さんの第二の短篇集『夜の光』が新潮社から出た年である。白樺の作家たちが漸く世の中に認められ出した頃で、地方出の多い一高生の間では、武者さんや志賀さんの作品を読んでいる者は、文科でもほとんどなかった。ところが私は、中学の終りから武者小路さんを読んでいて、それがきっかけで志賀さんや里見さんの作品に早くからなじんでいた。今でも覚えているが、一高生の私は、麹町の洛陽堂まで足を運んで武者小路さんの『おめでたき人』や『世間知らず』を買い、志賀さんの最初の短篇集『留女』も、同じく洛陽堂までいって手に入れた。市中の小売店にはおいてなかったので、出版元までゆかなければならなかったのである。

それほど私は、二十歳前後に武者小路さんや志賀さんに傾倒していた。じめじめした自然主義の低調さがやりきれず、武者小路さんたちの文学の中に、みずみずしい生命の息吹きを感じていた。吹き抜けるような爽やかな高邁なものがあった。そして、この傾倒は、大学に入って哲学を勉強するようになってもつづいていた。「謙作の思い出」が『改造』に出たときの感動は、いまでも忘れられない。広津さんが好きになったのも、大正八年か九年ごろ、広津さんが『新潮』に非常に理解の届いた志賀直哉論を書いたのを読んでからだったくらいである。

白樺の思想についていえば、社会問題についての考え方については、私なりに生長して、まもなくそれから抜け出してしまったのだが、なんといっても二十歳前後という、精神の骨格の出来あがるころに受けた武者小路さんや志賀さんからの影響は、私にはあとまで深い痕を残した。理論としての思想は移っていっても、その根本のモティーフは、二十代に形成された価値感情から出ている。そして、人生において何が何よりも大切かという価値のけじめ、哲学でいえば価値の序列というやつに関しては、二十代に受けた影響は、誰にとってもほとんど決定的なもののように思う。私の場合、それを、いまも感謝こそすれ、悔いることはない。