アメリカの軍事的威信度

一九九七年から九八年にかけての東アジアの金融危機において、IMFは融資の条件として、国家財政の健全化と企業の経営改革とを強く要求した。私は、それを見て、五〇年近く前のドッジラインを思い出した。

歴史的段階も危機の原因も全く違うが、企業の経営改革を根底においた治療法は、両者に共通している。おびただしい失業者が生じたことも、よく似ている。東アジアがこの危機を乗り超えたら、日本と同じように高度経済成長時代がやってくるのではないか。

ドッジラインと同じ年の十月に、中華人民共和国が成立した。日本共産党の政治力の急速な後退と対照的に、隣国では共産党が政権を握った。アメリカはその二ヶ月前に中国白書を発表して、国民党を見限った。それは、中国の内戦において、国民党軍の援助を続けてきたアメリカの外交の失敗を物語るものであった。

第二次世界大戦後、アメリカの軍事・経済・技術は世界を圧倒していたが、中華人民共和国の成立は、そのアメリカの優位に、早くも陰がさしはしめたことを意味していたのである。一九五〇年、朝鮮戦争が勃発し、米韓両軍は一時は釜山まで追いつめられた。

アメリカの軍事的威信はさらに傷つけられたかに見えたが、仁川逆上陸作戦によって北鮮軍の退路は断たれ、情勢は逆転して、アメリカ軍は鴨緑江まで北上した。その時点でソビエト空軍は参戦し、一〇〇万をこえる中国志願軍が朝鮮戦争に介入した。事実上米中戦争となった。

当時中国軍の小銃はほとんどが二〇をこえる外国の製品であった。弾丸の口径も十三種あった。大部分は独立に至るまでの戦争で敵軍から捕獲したものであった。だから、どの部隊がどの種の小銃を持ってどこにいるのか、分かりにくかっただろうから、弾丸の補給や小銃の修理はひどく面倒だったに違いない。その貧弱な兵器で、中国軍は米軍を三八度線にまで押し返したのである。

しかし、そこでアメリカ軍の陣地戦に引き込まれた。デメリカ軍の兵器の破壊力はかっての日本軍の比ではなかった。中国軍ははじめて、近代的な兵器と作戦との強大な威力に直面したのである。中国軍の戦死者は一三万三〇〇〇人に達した。一方、出動した米軍は延ベ三一万人を超えたが、戦死者は三万三〇〇〇人にとどまった。