ドルの通貨としての強味

今日になってみれば、「ドル・ショック」はドルの敗北ではなかった。冷戦下にはヤミ市場で取引されていたロシアやキューバなども含めて、今日ではドルが世界中を覆っている。ロシアなど、かつては米国と対決していた旧社会主義圏では、不安定な自国通貨を尻目に、最も信頼牲の高い正貨としてまかり通っている。米国の対ソ冷戦勝利は、通貨の面で最も徹底しているといってよかろう。

ドルの通貨としての強味は、パワー中のパワー、軍事力の強大さと一定の連関を持っているであろう。もちろん、依然軍事力でナンバー2のロシアの通貨ルーブルが自国民からさえ敬遠されているように、通貨に対する信用は軍事力と比例するものではない。また、時々刻々の交換レートに示される「強さ」にそのままつながるものでもない。たとえば日本円は、バブル崩壊で「日米経済再逆転」が演じられても、大きく下がったりはしなかった。

円は、ドルのように国際的に信用され、世界の街や村のすみずみにわたって通用するようになってはいない。近隣アジア地域内でも限定された範囲でしか通用しない。これは、国際通貨に不可欠な信頼性に欠けているからである。提案されて久しいアジアにおける「円圏構想」がいつまでも前進しないゆえんである。ドルの通貨としての信用の高さ、そしてそれに基づく世界規模での流通性の高さは、いうまでもなく前述した金融ビジネスの米国優位につながっている。国際金融ビジネスにおける米国優位は、ひるがえってドルのさらなる信用力の強さにつながる。七一年の「ドル・ショック」から七三年の変動制移行にかけて、米国は経済的に傾いていてもドルは通貨としての信用力を保持していた。