なぜ日本はイギリスのようになれないのか

これらのいずれが正しいといえるのだろうか。私は、ロンドンで最近開催された、取締役の役割と取締役会の義務に関するセミナーに参加した際、この問題を熟考させられたのである。その結果、正しい答えはないとの結論に達した。その理由は、日英米開やその他の国の間には固有の文化の相違があり、それが重要だとはいえ、単に国家間の違いによるものだけではないからだ。正しい答えがないのは、企業は複雑な集合体であり、さらに企業の、資本家、従業員、顧客、政府との友好関係やニーズは、各企業が置かれている、そのときどきの状況に、すべて左右されるからである。

株主の役割は、とくに企業がどれほど資本を必要とするかにかかっている。企業が銀行から容易に、しかも安価で借り入れができるのなら、あるいは、負債が少なく、高利潤によって多額の現金を保有しているなら、株主に頭を下げて、より多くの投資を頼む必要はないのだ。一九六〇年代および七〇年代の日本では、企業は、株主よりも銀行に大きく依存していた。一九八〇年代のバブル期には、自社の膨大な現金保有によって、銀行ばかりでなく株主を気遣う必要はなくなった。

一九九〇年代に入ると、事態は一変する。多くの企業は多額の負債を抱えるようになったので、資金調達をするうえで、銀行や社債市場、それに株主の重要性が増したのである。だが、現在では大半の企業は負債を減らし、巨額の現金を再度保有するようになっている。その結果、企業は再び、株主と一線を画すだけの余裕ができて、一部の投資家が、より多くの配当を求めたり、企業戦略に影響を与えることを防止している。しかし、この問題を煎じ詰めると、結局、経営者を規律づけるかどうかに尽きると思う。では、経営者が利益を継続的に上げ、業務を期待通りに遂行させる規律は、一体どこから生ずるのだろうか。

アメリカでは、経営者への規律づけは、主に競合相手から強いられるが、株主がTOB(株式公開買い付け)を受け入れて、現在の経営陣を罷免させる、と脅す可能性も残されている。イギリスでは、TOBによる脅しと、法律や慣習の両方によって経営陣に規律を強いることができる。アメリカでの取締役会は、通常、強力な権限を持つ社長の周りに、単なるゴルフ仲間を集めているにすぎず、弱体である。イギリスでは、そのようなやり方はとっていない。

日本では、株主と資本主義の問題が俎上に上ると、その参加者の誰かが決まって、日本はアメリカみたいになるべきではないと主張する。先に経済産業省の北畑氏の発言を引用したが、結局、これはアメリカ人の評判が「無責任で貪欲」である、という考え方を反映しているものと思われる。