日米欧に共通する危機感

私は、アメリカの一部にある「開発独裁型体制に問題がある」とか、「市場が民主化、透明化していないのがいけない」という議論を全く否定しているわけではない。開発独裁よりも民主的であるほうがいいに決まっている。しかし、それが本当に主因なのだろうか。アジア危機の主因はあくまで資本の動きであって、そこに様々な問題が複雑に重なって起きたのではないか、と考えている。

この問題について、最近はIMFアメリカも、一連のプロセスのなかでかなり見方を変えてきている。資本の動きのなかで最大の問題になるのは民間債務だが、そのことを強く意識させたのが九七年末の韓国の国家破産の危機だった。この危機を食い止めたのは、韓国の銀行債務に対する日米欧の協調によるりIスケジュール(債務期限の変更)である。ちょうどクリスマスのときだったが、欧米の担当者がパ土アイーを開いているときに、私は彼等と電話で議論をした。このときまでに我々すべてに明らかになっていたことは、韓国の民間債務をスケジュールしなければ韓国は破綻するということであった。

いくら資金を注ぎこもうと、あるいは経済構造の変革を迫っても、一度入りこんだ資本が焦げついているのだから、それを何とかしなければ解決の糸口すらない。結局、日米欧が協調してスケジュールに応じることに合意した。これで韓国は国家破産を免れることができたのである。

インドネシアについては、IMFは当初、民間債務の話は交渉の席でもち出していなかった。もっぱらインドネシアの財政政策や金融政策についての議論に終始していた。そこで日本とアメリ財務省、ドイツ大蔵省の三者で「民間債務の問題を解決しないと、いくら他のことをやってもうまくいかない」と訴えた結果、IMFも九八年になってインドネシアの民間債務問題をプログラムに入れてきた。