特殊な研究課題

これまで「国民性」研究のためのいくつかの方法を簡単にふりかえってみた。もちろんここにあげた数人の学者以外にも多くの人類学者、たとえばベネディクトやミートなどがあるが、アプローチの型としてはおよそ右の三つに分類できるであろう。ところで、実際の研究手つづきとして、かれらはどのような技術によってどのようなデータをあつめたのか。元来、人類学的研究は研究対象たる文化のなかに身をおいて情報を蒐集するのが唯一のやり方であった。

しかし、まえにも述べたように、戦争という突発事故(少なくとも人類学にとっては)によって要請された敵の「国民性」をさぐるという課題にこたえるためには、現地に身をおくという方法は全く不可能であった。つまり、この特殊な研究課題のためには文化人類学の「技術」も再検討を余儀なくさせられたのである。そこに生まれたのが「遠くからの文化研究」すなわち現地踏査抜きの文化研究である。

ふたつの技術が考案された。第一は、従来の人類学的方法、つまりその文化についての情報提供者(informants)をアメリカ国内でさがすことである。さいわい、アメリカには「世界中の国から来ているひとびとがたくさんいたから、各国の生活様式をかなり身につけた移民のグループを見つけだすことは容易であった」日本人研究のためには日系米人、ドイツ研究のためにはドイツ系米人が、いちおうそれぞれのもと属していた文化を代表するものとして面接の対象となる。面接にあたっては、プロジェクティブーテストも援用された。

第二の方法は、コミュニケイション材料を手がかりにした技術である。これは人類学にとってはあたらしい方法だ。もちろん未開社会でのコミュニケイション様式とその文化的役割についてはミートの先駆的業績があるしヽ多くの人類学者たちは文化研究にあたって伝説、格言、芸術作品などのコミュニケイション材料を蒐集してきた。しかし、原始社会とちがって、現代社会は計測できないほど多量のシムボルを製造している。これらのコミュニケイション材料をつかえば間接的にある文化の型をとらえる手がかりになり得るのではないか。

こうした関心から、コミュニケイション材料の意識的な利用が考えられた。G・ベイトスンはこの技術にもっともはやくから注意をはらい、一九四三年には「ナチの宣伝映画をつうじてナチズムの心理的な意味合いをひきだそうLと試みた。彼のこの分析ではやはり重点は「家族の文化的特性」におかれ、劇映画のなかの親子関係のコムプレックスが精神分析の考え方を基として研究されていた映画というメディアに関して研究されている。映画というメディアに関してはウォルフェンジュダインらの労作がその後発表されたし、その他にもライツによる「異邦人」の分節などが文化研究にコミュニケイション材料を応用した例としてあげられるであろう。すなわち、技術としては旧面接によるもの、コミュニケイション材料の分析、および倒師の併用、が主として用いられたのである。