米国の東アジアからの後退

同じく高村に会見した温家宝首相は、「日本が国連をはじめ国際組織で重要な役割を果たすことを願うと、○五年の国連安保理常任理事国入り反対の姿勢から一転して、常任理事国入りを支持するかのような発言をしてみせた。冒頭の研究者によると、これらは2プラス2の共同発表が台湾問題に触れたいことへの「見返り」という。中国では、こうした台湾問題に対する日米の「譲歩」もあって、軍を中心に台湾統一の歴史的好機が到来したという声も強まっている。その根拠は、まず中国が「一強支配」「単独覇権」と見なしてきた米国がイラク情勢をはじめ中東問題に足を取られ、東アジアでは、北朝鮮問題に見られるように後退に次ぐ後退を重ねているという現実がある。もともと東アジアでは、朝鮮半島と台湾の情勢は密接にリンクしてきた。一九五〇年代、米政権は朝鮮半島と台湾を放棄し、「反共」の防波堤を日本列島まで後退させることを検討していた。

金日成はその機をとらえて人民軍を南進させ、朝鮮戦争が勃発した。それに対して米国など国連軍が反撃した結果、中国の人民義勇軍北朝鮮を支援して戦闘に参加する事態になり、米国は第七艦隊を台湾海峡に出動させ毛沢東中国を牽制した。これが台湾分断を固定化させることにつながった。同じように韓国がとめどない北朝鮮接近を続け、台湾の陳水扁政権が米国の意のままにならない現実に、米国の戦略専門家の中には「朝鮮半島、台湾は中国大陸に近過ぎ、戦略的価値はない」と広言する者さえ出てきた。こうした米国の後退を突いて中国では「台湾統一の歴史的チャンスをつかめ」との意見が軍を中心に強まり、事実上「現状維持」の路線を進めてきた胡錦濤政権に対する不満が表面化してきた。○七年四月初め、米国によるイラン攻撃のうわさが広がると、米国がイランを攻撃し戦闘が長期化したら、中国は台湾を攻めるべきだとの声さえ上がった。

もともと中国では、二〇〇八年北京五輪を前に台湾が独立への動きを強めることに警戒の声が高まっていた。すなわち、もし北京五輪の初日に台湾が独立宣言すれば中国は五輪を放棄しても台湾を攻撃せざるを得ず、攻撃しなければ台湾を失うというジレンマに陥る。現に李登輝台湾総統も、北京五輪は独立の好機と広言していた時期もあった。これに対し中国では、できるだけ早いうちに台湾に先制的な軍事攻撃を仕掛け、「教訓」を与えて独立の意図をくじくべきだという意見もあった。北京五輪が近づけば、軍事攻撃によって国際的に孤立するリスクが高まるので、攻撃は早ければ早いほどいいとさえ主張する「国際政治学者」さえいた。

東アジアからの歴史的後退を続ける米国の姿は、中国でこうした軍事的冒険を求める声を再び台頭させている。冷戦に敗れてソ連を解体させた白シアも資源とエネルギーを武器に国力を回復させ、「領土と主権」10問題で中国と全面的に協力しあうことをくり返し表明するなど、中口の接近が目立つ。これはロシアが抱えるチェチェン独立問題、中国の台湾問題で軍事協力も含め支援しあうことにほかならない。こうした「中口同盟」の部分的復活は、日米や欧州を牽制する上で大いにものをいうだろう。さらに、国民党との歴史的和解を背景に、胡錦濤台湾海峡の現状維持路線を進める根拠になっていた二〇〇八年台湾総統選挙での国民党優勢が崩れつつある。総統候補のうち、世論調査で圧倒的な支持率を誇っていた馬英九台北市長は市長時代の公金横領罪で起訴され、国民党主席を辞任せざるを得なかった。党規約を変え総統候補は降りないとしているものの、クリーンなイメージは地に落ちた。なお馬は○七年八月。台北地裁で無罪判決を受けたが、検察は不服として控訴している。

国民党軍の台湾移駐に伴い大陸からやってきた外省人を出自に持つ馬に対し、国民党内では台湾人で、そのために多くの支持が期待できる王金平前立法院長の出馬を期待する声が強かった。しかし王は、馬から再三、副総統候補として出馬を要請されても応じなかった。一方、陳水扁総統の夫人が機密費の横領罪で起訴され、窮地に追い込まれた民進党は、総統候補を謝長廷前行政院長に一本化することに成功した。謝は民進党の地盤、高雄で市長を務めた有力政治家で、○六年暮れの台北市長選挙では国民党が強い台北で敗れはしたものの、馬の後継候補と互角の戦いを演じてみせた。各種世論調査では馬が謝を一〇ポイント以上リードしているが、その差は縮まる傾向にあり予断を許さない。特に馬のスキャンダルがたたって国民党が分裂選挙に追い込まれた場合は、敗色が濃厚になってくる。

民進党の謝はこれまで穏健派と見られていたが、総統候補に選ばれると「台湾維新」のスローガンを掲げ独立色を強め、中国との統一を掲げる国民党との対立を際だたせようとしている十九世紀末の日清戦争によって清から日本に割譲され、五十年の植民地支配を受けた台湾では、その間に独自のアイデンティティが形成された。さらに共産党に敗れ、台湾に逃れた国民党政権が、台湾の人々を武力で弾圧した一九四八年の「二・二八事件」や、その後三十八年にわたる戒厳令下で行なった「白色テロ」と呼ばれる苛烈な統治によって、そのアイデンティテは悲壮感を帯びたものになり、大陸の政権への嫌悪感を強めている。中国が「同じ中国人」であることを台湾人に強制しても、こうした悲壮なアイデンティティは強まり、民族主義にも近い自己主張、独立への希求を強めるばかりだ。