山盛りの豚足と格闘する

どっちがましかと迫られれば、個人的にはうんこよりはおしっこのほうが許せるが、まあ五十歩百歩です。といって凄まじく毛嫌いしているというほど潔癖でもないのですが。豚足という食い物がある。私は、苦手だった。もちろん、だされれば食う。意地でも食う。なんだって、食う。そういう習性、いや教育を受けてきたからだ。蛇足だが、いままでで口にしていちばんつらかったの
は檜枝岐でだされたモモンガの生肉脂漬け(半醗酵)だった。これは、もう、単純に腐りかけていたのだろう、強引に胃の肺に送りこんだが、嘔吐しそうになった。腐臭のしたモモンガほどではないが、豚足も供されると有難迷惑だった。都下某市でトーフック配送のアルバイトをしていたとき、そこの正社員(炭坑離職者)が、忘年会のときに夕張の味を教えてやると恩着せがましく意気込み、会費を徴収したあげくに休憩室のストーブでモツの煮込みと豚足を手作りして振る舞ってくれたことがある。

モツも下ごしらえが不充分で決して褒められたものではなかったが、どこで人手してきたのか、まさに豚の足のままの豚足には閉口した。体毛くらい焼き落とせよ!まばらとはいえ、あちこちに毛の生えた豚足を食った(食わされた)ことがトラウマとなってしまったのだろう、以降、豚足というと出されれば食べないわけではないが、腰が引けていた。下ごしらえをしていない豚の足の煮物なんて、あなだだって想像しただけでいやでしょう。実物は悪臭の増蝸なんです。はっきり言おう。うんこ臭いのです。しかも喉ごしが凄まじい。毛が喉を擦っていくんですよ。私が豚足に積極的になれないのは、それが生きているときに、さんざん糞を踏みしめ、こねくりまわしていたことを熟知していることがまずあって、ついつい踊のあいだにまだ糞が詰まっていないかなどとよけいな想像をしてしまうという下地があって、そこに夕張の糖尿病自慢のオッサン(俺あ、糖尿だからよおと口癖のように告知してまわり、それを錦の御旗に仕事をしない、すなわちさぼるのですね)の毛付き豚足でとどめを刺されてしまったからです。

週刊ポストの取材で韓国にでかけたとき、ガイドに韓国の豚足は世界一だと吹かれて、山盛りの豚足と格闘したことがある。銀座のクラブホステスたちの慰安旅行にくっついていったときも、現地の友人が、やはり世界一旨い豚足だと威張って、これは儒煙してあるのか焦げ茶色の代物を、やはり大皿一杯てんこ盛りで振る舞ってくれたことがある。日韓関係を悪化させたくない一心で、満面笑みでうめえうめえと食いました。けれど、今はり、世界レベル云々を持ち出すほどの食い物ではないというのが私の感想でした。それどころか、足の先など食用部分ではない。廃物利用ではないか。こうまでして頑張って食うなんて、なんと健気な生き物なのだ、人間は。そんな醒めた気持ちをもって豚足に接していた。そんな思いが一変したのが、沖縄だった。今回はガイドブックとして役立つように、沖縄にやってきたことを実感でき、なおかつ交通の便のよい豚足屋さんを紹介しよう。

大城食堂は、佇まいからしてちがう。那覇は泉崎だと思う。県警本部の裏手にあたる。近くには開南小学校やハーバービューホテルがある。この通りはハーバービュー通りというらしい。とにかくちいさな店だ。けれど、ぼろくて派手だから、見落とす心配はない。素人が手塗りしたとしか思えぬ厚塗りの白塗りの木造家屋だ。白塗りと書いたが、ときどき気分で玄関枠などが緑色に塗ってあったりもする。やはり手塗りなのだろうな。ともあれ油性ペンキ厚塗りの白い家というのは、じつはなかなかお目にかかれぬものだ。沖縄では豚足のことをテビチというらしいが(ティビチと表記する場合もあるが、私は大和の人間なので図に乗らぬよう気配りし、テビチとしておく。また以下にあるとおり大城食堂に関しては手引と表記する)、大城食堂の看板には手引と書かれて、その横にマジックインキの下手くそな宇でてびちとふりがながあとから書き加えられている。

その看板だが、白地に縦に朱色で手引、真ん中に紫でおかず、左に赤でそばと大書してあり、その下に空色の横書きで専門店、そしてそのさらに下に大城食堂と黒い色で書かれている。この看板の色彩の強烈さだけでも一見の価値ありだが、どうも沖縄の人間にとっては、それほど網膜を刺激される配色でもないようだ。私が旅行者的オリエンタリズムで感嘆しても、ふーんそうかな、といった眼差しがかえってくるだけだ。もちろん私の無自覚的植民地支配的眼差しよりも、当の沖縄の人間の反応が正しい。ともあれ、とてもちいさくせまい店で、おじいさんとおばあさんがやっている。ぼろくて派手な店などと書いたが、不潔ではない。創業四十年以上だそうだ。米軍統治時代の営業許可証まである。千引を頼むと、おばあちゃんが誠心誠意、運んできてくれる。