ようやく動いたNY連銀

実はFRB自己資本は小さく、このまま資金繰り対策に名を借りた裏口からの金融救済を続けていると、FRB債務超過となりかねない。その可能性を織り込んでか、破綻リスクを取引するCDS市場で、米国債のリスクは○八年三月に入りドイツ国債を上回った。そこまで米国は厳しいのかという市場のメッセージであった。もうひとり、今度はNHKの人気番組のタイトルを借りれば、その時ティムが動いた。ティモシー・ガイトナー・ニューヨーク連銀総裁である。○七年六月上旬、サブプライムローン問題が深刻になる前、ニューヨーク連銀本店での懇談の席上、記者の質問に答えるガイトナー総裁は立て板に水だった。しかも押しつけがましさがない。リスクをうまく制御しつつ、金融市場の機能をフルに発揮させようという考えが素直に伝わってきた。

ベアー傘下のヘッジファンドの行き詰まりは当時から話題になっていたが、全面的な金融危機になるとは。ガイトナー総裁も想像外だったろう。○八年四月三日、米上院銀行委員会の公聴会で、ガイトナー総裁はベアー救済劇の内情と背景を丁寧に説明した。A4判で十ページにのぼる草稿は、売ろうにも売れないベアーの資産の受け皿会社の契約書なども添付されており、ドキュメントとしても十分に面白い。例えば○八年三月十三日にベアーが破綻寸前まで追いつめられる経緯。欧州の金融機関がベアーとの債券取引を中止したとのうわさが、まず債券トレーダーの間に広がる。米国の債券、株式トレーダー、大手投資銀行も取引中止を決める。ヘッジファンドがベアーの勘定から資金を引き揚げ、マネー・マーケットーファンドもベアーの短期債務の保有を圧縮した。かくて十三日には満期の到来した債務をつなげなくなった。

うわさの遠近法である。突然の破綻は「無秩序な持ち高解消」の引き金となり、「同業他社の財務状況への疑い」を投げかける。デリバティブ金融派生商品)取引の相手方は、金融リスク
から身を守るはずの取引が有効でなくなったと突然知らされる羽目になり、市場混乱に拍車をかける。こうした事態を防ぐために、自ら「異例の段階」という対策を矢継ぎ早に打ち出した。「市場との情報交換から多くの有益な示唆を得た」とガイトナー。誰に資金を供給すれば最も必要とするところにカネが回るかを考えて、ペアー救済と同時に証券会社向けの公定歩合貸し出しの導入を決断した。ベアー以外の大手投資銀行にも、米証券取引委員会(SEC)の協力を得て、ニューヨーク連銀の検査担当者を派遣したことも、証言では明らかになった。FRBが証券会社を監督するかどうかの制度論にかまけることなく、必要と判断すれば連銀は動いているのである。

ペアーの問題債権の受け皿会社に、二百九十億ドルの融資を決めたのも相当な決断だ。日本でいえば、東京協和、安全の二信用組合の受け皿として日銀出資で一九九五年に東京共同銀行を設立したようなものだ。二次的な損失が出たらどうするのだとの批判の矢面に、バブル崩壊後の日本の当局は立たされた。米国も同様だが、「リスクは限定的」とするガイトナーの真骨頂は、「時間が経過し、今のように不自然に強い市場の下押し圧力がなくなった通常の局面で、担保資産を処分できる」と言ってのけた点にある。確かに、ベアー救済後に市場心理がいったん沈静したのは、当局がようやく市場に追いついたとの雰囲気を反映している。当局による市場介入の極意は、市場が一方に振れた時点で市場とは反対の取引をすることである。

公的資金による資本注入の枠組みのないまま、大手金融機関を次々と破綻に追い込んだ十年前の日本。連鎖破綻を防ごうとベアーを救った米国。ほかでもない。十年前、米財務省で後に財務長官となるローレンスーサマーズの下でアジア危機の火消しに奔走したのがガイトナーなのだ。今またニューヨーク連銀総裁として燃え盛る火事の現場にいる。テニスを好み、日本にも知己の多い、ペアー救済当時四十六歳だったセントラルバンカーは、機転が利きスピード感があった。だが、その米当局も七月には現実の危機に先を越された。インディージョーーンズ「魔宮の伝説」で、巨大な石の玉がごろごろ転がって追いかけてくるかのように。バラク・オバマ政権の財務長官の下馬評にサマーズとともに上ったガイトナー。その危機対応は、今なお続いている。