一枚岩でないエスニック集団

シーアが社会・政治体制を左右できそうな国ぐにとしては、サウジアラビアクウェート、バハレーンなどペルシア湾岸のアラブ王制諸国、イラクレバノンなどである。これらの国にはそれだけ多くのシーアが居住している。イラクが対イラン開戦に踏みきらねばならなかった一因も、シーア勢力の抑制にあったといえよう。人口の過半数がシーア系だというのに、スンニーを基盤とするイラクのサダムーフセイン政権は、隣国イランにおけるシーア政治権力の台頭に人いなる脅威を感じたのである。レバノンではシーアが宗派人目としては最大をしめるようになり、マロン派キリスト教徒を頂点とする支配体制を揺るがせている。

ルフレッドーマハンの時代ではロシアと英国の抗争が中東の不安のす、べてであった。今日でも一部の戦略思想家は米ソ抗争の場としてのみ中東を観察している。「危機の三日月地帯」などというレトリックはその副産物である。しかし、米国かソ連か、アラブかイスラエルかといった単純な対立概念だけで中東が動いているわけではない。一九七九年、米国で『中東における少数派集団の政治的役割』というユニークな著作が発表された。七〇年代のレバノン内戦の過程などを通じ、エスニック集団が中東の政治・社会を左右する要素になる兆候が現われつつあった。中東のエスニシティに関する研究は、もちろんこれが初めてではない。

しかし、大国による中東の危機管理能力がまさに低下しつつあった時で、それはなぜなのかという問題意識を秘めた労作といってよい。中東の土地に根ざした紛争要因にもっと注目すべきだとの警鐘でもあり、当時ワシントンにいてこの書に目を通した私は、新鮮な刺激をうけたことを忘れない。編著者のR・D・マクローリンはバージュア州アレキサンドリアでエイボットーアソシェーツという名のコンサルタント会社の上級研究員をしていた。専門は安全保障で、ペンタゴンの委託研究などを請けおって仕事をすることが多かった。

私がジョージタウン大学研究員だったころ、サウジアラビアの安全保障に関する報告書を作成するため、しばらくかれと共同作業をしたことがある。「エスニシティは新しい問題ではない。その政治的影響度にも限界がある。しかし、あまりにも無視されてきた。無視するには重大すぎると思ったのだ」ポトマク川の風を受けるエイボットーアソシェーツ社をたずねた私に、かれは自分の著書の出版動機について控え目に語るのであった。かれのいうエスニシティの政治的影響度の限界とはなにか。エスニック集団を一枚岩とみては行きすぎだとの判断である。

レバノンには多くのエスニック集団がモザイクのように寄り集まって国家を形成しているとよくいわれる。だがそれを固定的なものとみなす「モザイク国家」論には近年、批判が加えら
れている。同じエスニック集団のなかにあっても貧富による階級差やイデオロギー対立、個人的な権力争い。などが存在し、エスニシティの壁をこえて共同歩調をとることもありうるからである。たとえば、マロン派キリスト教徒の主導するレバノン中央政府に反逆する勢力のなかに、やはりマロン派のスレイマンーフランジエ元大統領がいる、といったぐあいなのだ。そうすることによって、フランジエ個人、あるいはフランジエを中心とする勢力の利益が確保できるという判断があるからだろう。マロン派というエスニック集団の利益がすべてではないのである。