組織的比較例証法

それはヴェーバーの理論を土台にした理論的予測であった。その予測から導き出された仮説に基づく、研究プランをベラは考えたのである。それは日本の前近代社会における宗教倫理の研究であり、西洋のプロテスタントの倫理と同じ社会的役割を果たした、日本の価値体系の研究でもあった。

このような仮説の下にベラは、徳川時代の商人階級出身の学者石田梅巌(一六八五〜一七四四)を始め、徳川時代における神道、仏教、儒教の価値観を研究して、そこにプロテスタントの倫理と同じ勤勉、節約、経済的成功などを評価する倫理が存在することを確かめた。もちろんベラはこのように資本主義の発展にとって、積極的に貢献するような、宗教倫理の存在を実証したからといって、西洋社会と日本社会との近代化の過程が同じだったというわけではない。

日本社会は、自分自身で近代の合理主義的な思想を発達させたわけではなかった。また日本の前近代社会における経済発展が、特にめざましいわけでもなかった。むしろ日本が、富国強兵を軸とする近代化の過程を、開始しなければならなかったとき、これらの前近代社会の宗教倫理が、日本型の資本主義の発展に、積極的な役割を果たすことになったというに過ぎない。さらに後進国としての日本の近代化の過程は、政治権力つまり国家の強力な統制と指導とによって、初めて可能となった。

以上のような分析を行ったペラの日本社会研究のモデルは、ヴェーバーの比較社会学のモデルと異なって、パラメータを含んではいない。しかしヴェーバーの比較宗教社会学の古典的モデルを、日本に適用するというベラの理論的、方法論的発想は、アメリカの学界で高く評価された。そして「徳川の宗教」と名づけられた彼の博士論文は一躍、現代の古典としての地位を獲得することになった。

さて以上のように社会の全体像を、歴史的な変化をも含めて把握する方法は、比較社会学の方法として定着してきた。今日、組織的比較例証法(systematic comparative illustration)と呼ばれる方法は、マックスーヴェーバーの、プロテスタントの倫理の研究に見られるように、実験的方法、統計的方法と全く同じ論理に基づいて構成されている。すなわちここでは独立変数の従属変数に対する時間的先行、両変数の共変、そしてその他の重要な変数の統制という条件が追求されている。

しかしこのような比較例証法は、実験的方法とは異なり、研究者が自らの意志によって、状況を操作しているわけではない。いうまでもなく研究者に、資本主義の発展というような、過去の歴史的変化を操作できるわけがない。比較例証法においては、サーヴェイ・リサーチの方法と同じように、研究者は概念的に変数を操作して、因果関係についての推論を行ない、歴史的資料によって、その推論を実証しようとしているのである。