建築物の壁面線後退

これが完成すれば、歩道は車道側に一メートル、民地側に二・五メートル、計三・五メートル、現在よりも広がるうえに、重苦しいアーケードが取り去られるやら、ずいぶんひろびろとのびやかになった。さらに角地の部分に、改修を予定していた四つのビルについては、もっとゆったりとした角地の広場をとってもらおうという計画がまとまってきた。銀行や証券会社というむずかしい相子ではあったが、建築法規よりも地元の協定が優先するという地元と市の強い態度により、銀行は二階を含めて八メートルの後退が実現した。

こうした考えは、いきなり計画案を押しつけたのではなく、まず馬車道商店街の人びとが街の復興のムードをつくり、そのために「街づくり憲章」としての協定書をつくり、互いの意思統一をするところから始まった。協定は昭和五〇年の四月にまとまったが、基本方向の第一には、「馬車道は開港横浜の歴史の重みを擁する伝統ある所である」「文化色豊かな街づくりとして、保全、修復する」とし、「人間優先の街路とし、緑と太陽のあふれる歩行者空間創造の街とする」としている。

こうした協定を生かすため、具体的な案としてまとめたデザインにょって、さきほどのアーケードを撤去したり、街路樹や品のよい街路灯の設置などにつながるのである。自主的な相互意思の確認が第一で、物的デザインはそれを具体化する手段として、モの後についていったのである。そうでなければ、この当時、アーケードを新しくつけてゆく商店街も多かったのに、撤去するという思い切った案が実現できるわけはない。

協定の内容としては、建築物の壁面線後退、公用空地、高さ、共同化、建物の色、看板の形態、大きさ、取付位置などから、歩道の幅、仕上り、車両交通の規制、車種制限、商品等の搬入時間、搬入場所、ストリートファニチャー、さらに低俗品々スポンサー名の大きなものの排除、防災、清掃、遣水、イベントや祭などと、法定の建築協定ではとうてい不可能な広汎な内容をもっている。

なかには、市の行政や、警察の行政に関することまで入っている。直接の権限がないからといって、協定できないことはない、決められた方針で、関係機関に働きかければよいのである。自主的な市民が、互いに合意して定めれば、都市づくりに必要なことはすべて盛りこむことができる。なかでも、自らも壁而線を後退させて、歩行軒字問をつくってゆこうという手法は、要求ぽかりでなく市民側も公共空間に協力しようという自主的な耶市づくりとして評価される。