オモテとウラを結び付けるきっかけ

この頃の総会屋の主な収入源は雑誌の発行であった。彼等の名刺には経済研究所の所長やミニコミ新聞、雑誌社の社長の肩書きが刷り込まれていた。ある企業のスキャンダルを掲載しない代わりに購読料や広告料の名目でカネを受け取る。情報誌(紙)という名さえ付いていれば、内容に関係なく企業は何部でも買い上げた。コワモテの総会屋の雑誌には全面広告を載せた。総会屋は購読料、広告料や賛助金の名目で年間六百億円の安定収入を得たといわれている。

八二年十月に商法が改正され「利益供与の禁止」条項が設けられた。総会屋が発行する雑誌や情報紙を購入することも広告を出すことも「利益供与」とみなされ、犯罪となった。その結果、総会屋の雑誌は全滅した。六千八百人もいた総会屋はメシが喰えなくなり、九〇年段階で三千人に減り、現在では百五十人程度までに激減している。

しかし、商法改正は闇の勢力がオモテ社会に台頭してくるきっかけともなった。それまで総会屋というクッションを置いていたオモテ(経済社会)と裏(地下経済)の関係が、総会屋がいなくなったことによってもろに結び付いた。企業はむきだしの暴力に向き合うこととなったわけだ。

九〇年代に入り大物総会屋が相次いで亡くなり、雑誌を発行する、いわゆる活字型総会屋が終焉を迎えた。この間隙をぬって、勢力を伸ばしたのが暴力団系総会屋だった。今日では、総会屋、右翼、暴力団企業舎弟の違いが分からなくなったといっていい。それらが一体化して、より先鋭的、暴力的になったのである。企業に対するテロが急増した。経営者は闇の勢力に怯えた。

オモテとウラを結び付けるきっかけになった二つめの要因は宅地開発の規制緩和である。バブルの歴史は「中曾根民活」に始まる。この規制緩和は民間の自主性を生かすことを狙ったもので、国鉄(現・JR)や電電公社(現・NTT)の民営化路線と軌を一にする。八三年、建設省は大都市の市街地で建物の高層化を促進するため、一定の空き地などを提供すれば、建物の高さの割り増しを認める「特定街区制度」の適用基準を大幅に緩和した。これによって、狭い敷地でも高いビルが建てられるようになった。

しかし、この制度はまったくの失敗に終わったといってよい。規制緩和によってデベロッパーによる土地の買い漁りが始まった。ウラ社会にビジネスチャンスがやってきた。地上げ屋としてウラ社会の人々が介入してきた。金融機関が関連企業を迂回させて流した巨額の資金にものをいわせて、地上げ屋は地権者を追い立て、短期間で地上げをまとめあげた。企業は地上げ屋の凄腕をフルに活用して、土地を買い漁っていった。ここにいたって、オモテ社会とウラ社会の共犯関係が出来上がった。